豊岡簡易裁判所 昭和35年(ろ)15号 判決 1960年9月03日
被告人 寺島律
大三・三・二九生 印刷業
主文
被告人は無罪。
理由
本件公訴事実は被告人は昭和三五年二月八日午後四時二〇分頃、京都市上京区今出川通大宮角附近道路の交さ点において、法令に定める信号機による停止の信号に従わないで、小型四輪自動車を運転通行したものである。というのであるが、
被告人の当公廷における供述、証人笹原則之の証言、証人石川洋に対する証人尋問調書、および検証調書を綜合して考察すれば、被告人は昭和三五年二月八日午後四時二〇分頃、自己の所有する小型四輪自動車(兵5す八四五八)を運転して、時速約二五粁の速度で、京都市上京区今出川通り(電車通り)を東より西へ進み、今出川通り大宮角交さ点を通過しようとしたが、当時被告人は、所用のため偶々自己の住居地兵庫県出石郡出石町を離れ、京都市へ赴いていたものであつて、京都市内の地理に暗く、その際始めて同交さ点を通過しようとしたもので、前もつて同交さ点の存在を知らなかつたものであること、同交さ点は幅員の広い電車通りである今出川通り(巾約一六米)に対し、これより遙かに幅員が狭く歩車道の区別のない大宮通りが直交(大宮通り中今出川通りより北行する道路は巾約六米、同じく南行する道路は巾約四米で、この北行道路と南行道路は今出川通りを鋏んで東西に約四米余喰い違いつつそれぞれ今出川通りに直交)してなす交さ点であるから、今出川通り東方から同交さ点に差しかかる場合、右大宮通りの存在延いて同交さ点の存在は一般にやや見難い状況にあること、且つ当時被告人は右自動車を運転して同交さ点に差しかかるに当り、同交さ点東方約一〇〇米の地点附近において、大型観光バスに追い越され、爾後その背後に追随したため、前方の見通しがこれに遮げられたこと等の諸事情のため、その際被告人は同交さ点の存在ならびに同所設置の信号機の存在に気付かず、なお同所に警察官が交通の取締に当つていたことにも気付かず進行した。かようにして被告人が同交さ点東側停止線に近接したとき、被告人の対面する信号機の信号(右停止線の西方約四一・八米、今出川通り南側に在る鉄柱の上方地上約五・〇五米の位置に設置あるもの)は後段認定の如く停止信号(赤)に変つたが、右先行バスは被告人の前方約一五・六米前方を進行しており、このときにおける右三者の関係は右停止信号が被告人の位置から右バスを鋏む視角の中にあり、換言すれば右バスに隠れており被告人において未だ認識できない関係にあつたため、被告人はこれを知らず、そのまま自動車を運転進行し、今出川通りと交さする右南行大宮通りのほぼ中央に達したとき始めて自己の前方に停止信号(赤)を認識し、同時に同所が交さ点であることを知り、直ちに急停車したものであることを窺うに足る。そうだとすれば、右の場合被告人は右停止信号を認識せずに交さ点に入つたのであるから、本件は本件犯罪の成立に必要な犯意を欠くものといわなければならない。
尤も、証人岩崎直吉(警察官)の証言、同人に対する証人尋問調書によれば、同証人は本件で問題になつている西側信号機の信号が停止信号(赤)に変つたとき、被告人が自動車を運転して東方から本件交さ点東側停止線の二、三米手前に進行してきたのを認めたが、被告人はそのまま停止線内に入つたので、直ちに警笛を鳴らし警告したが、被告人は停車することなく敢えて進行し、今出川通りと交さする前記大宮通りの中央附近で停車した旨供述している(右供述内容とそごする同証人の供述部分はたやすく信用できない)ので、この点を検討するに、まず被告人が自動車を運転して右停止線二、三米の手前に進行してきたとき、その対面信号機の信号が停止信号(赤)に変つたとの点は信ずるに足るが、しかしながら、前顕証拠よりすれば、前示認定の如く、その地点においては、先行バスの障碍のため、未だ被告人においてこれを認識することができなかつたものと解するのが相当である。次に警笛吹鳴の点は、被告人の当公廷における供述、証人笹原則之の証言、証人石川洋に対する証人尋問調書によれば、同人等は急停車と同時(被告人)急停車直後(同両証人)に警笛を聞いており、その何れによつても右停止線を越えるや直ちに聞いたものでないことが窺われるから、右証人が警笛吹鳴し被告人に警告した事実をもつて直ちにそれにより被告人が停止信号を認識したものとし、にもかかわらず被告人は敢えて同交さ点を通行したものとは思われない。(なお附言すればこの警笛吹鳴の点は次のようなものであつたのではないかと推測される。即ち検証調書および証人岩崎直吉に対する証人尋問調書によれば、本件の西側信号機の信号が停止信号に変つたとき、西進して来た自動車が本件交さ点東側横断歩道線手前で停車するならば、右停止線を越えることがあつても黙過されている事実が窺われるので、この点から見て、右証人が警笛を吹鳴したのは、被告人の自動車が右停止線を越えた直後ではなく次の横断歩道線を越えた直後でなかつたか、そうして検証調書によれば、右横断歩道線から被告人の急停車位置までの距離は約七米三〇糎で、被告人の自動車の長さは四米三糎であるから、被告人の自動車が右横断歩道線を越えた直後から同点までの距離は僅かに三、四米経過時間にして僅々〇・五秒前後(前示時速約二五粁として計算)いわば一瞬のことであるから、被告人においては停止信号を認めて急停車するのと殆ど同時に警笛を聞いたということになるのではないかと。)
次に被告人の西陳警察署長宛供述書によれば、本件公訴事実に適合する被告人の自白の記載があり、証人岩崎直吉の証言によれば、この自白は何等強制によるものでなく被告人任意の供述と認められるが、前示の如く当時被告人に停止信号の認識があつたとは認められないし、一方被告人は当公廷で右供述書作成の際その書き方が判らなかつたので警察官(右証人)に教えて貰いそのとおり書いた旨供述しており、又不注意で停止信号を知らずに交さ点を通行しても悪いことだと思つていた。しかしそれが罪になるとかならないかということまでは深く考えていなかつた、ただ気持としては停止信号に気付いて急停車したらよいのではないかと思つていたなどと供述しているので、これらの点を綜合して考えると、被告人の右供述記載は犯意の点に関し被告人に錯誤があつたものと認められるから信憑性がない。従つてこの自白の客観的事実が右証人の証言および同人に対する証人尋問調書によつて補強し得ても、これをもつて被告人を有罪と認めることはできない。
そうだとすると、結局本件公訴事実はこれを認めるに足る犯罪の証明が十分でないから刑事訴訟法第三三六条により無罪の言渡をなすべきものである。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 里中貞蔵)